C-5 Galaxy
Page-2
C-5Aの話とは違うが、私が航空機とともにクルーを撮ってみようと考え始めたのは、下の写真左のクルーを見た時が始まりである。C-5Aの主脚輪に腰かけ休憩をとるこの機のパイロットは、別に特別なポーズをとっていたわけでなく自然体で絵になる人であった。こんな大きな飛行機も結局は、人間の手で造られ、人の手で運用されるのであるから、機体にかかわるスタッフやクルーは航空機と共にファインダーに収めようと考え始めた。また 展示機が少ない時もスタッフの撮影に没頭出来れば、時間も楽しめる。そんな考え方にしてくれたのが、C-5Aとそのクルーであった。

(1987)

(1987)

(1987)

(1987)

50t近いM-60戦車2台を運べることを前提に設計がなされているため、これだけ巨大になボディーとなった。開発にあたりプロジェクトの設計者だけでも6000人を超えたそうだからスケールがでかい。C-5Aは、生産数81機で 最終引き渡しは1973年5月とのことである。1980年代に入ってから 米空軍の統一迷彩 ヨーロピアン1に塗られた。この後時期 私はまともな写真をほとんど撮っていない。

↑ 1989年横田基地を離陸する60th MAWのC-5A / 86-0018

(1992)

HOME
NEXT
click here
(69-0024)
(70-0461)
(69-0005)
(70-0459)/1990

(1990)

↑ 1992年6月に横田基地に展示されたC-5A。

↑ 1992年4月厚木基地におけるC-5Aの離陸に向けた準備模様。

Wings